Jul 04, 2011
フロアコーティング様々。
フロアコーティングとは読んで字のように"底"(底)"コーティング"(何かを覆う)技術です。汚染を防ぐためなどに使用される技術で、用途地域によって様々な技術が使われています。たとえば、汚れや臭いの気になる方にオススメの"無光触媒コーティング"と防水力を重視した"シアン化合物コーティング"など様々な種類のフロアコーティングが存在していますが、場所と場合によっては、販売代理店と相談し、一緒に使用することが重要になるでしょう。底床は、定期的なメンテナンスが必要です。水性ワックスや油性ワックスでコーティングを必要とし、実際にやってみると想像以上の肉体労働であることがわかります。そのため、少し高価ですが、専用のフロアコーティングを行うことをお勧めします。床のコーティングが少し高いと言っても予想よりも安い定期的にワックスをすることを考えるととても経済的です。
東日本大震災の大津波にのまれ、仙台市宮城野区の古タイヤ再生会社の契約社員、加藤豪(ごう)さん(37)は13時間半、電柱にしがみついて、生きながらえた。今、「テレビを見たくない」と言う。地獄のような光景がよみがえってくる。余震に跳び起き、フラッシュバックにおびえる夜。職も失った。だが「生き残ったからこそ踏ん張らなければ」と自身に言い聞かせる。
【津波ドキュメント】津波 静寂 街消えた=釜石市・沢田幸三さん撮影
11日、仙台市若林区の海岸沿いの県道をワゴン車で走行中、左右に激しくハンドルをとられた。電線が波打ち、バチン、バチンと切れる。「こいづは来る」。津波を予期し、そのまま仙台新港のフェリーターミナルに近い事務所まで突っ走った。国道のバイパスに抜ける道は渋滞してしまうと考えたからだ。
事務所の外にいたのは先輩の男性社員(40)だけ。「加藤君、津波だ!」。叫び声と同時に地鳴りのようなごう音が背後に聞こえた。
真っ黒い濁流にのまれた瞬間、10メートル程先の電柱に先輩がよじ登るのが見えた。押し流されながら、それに必死でしがみついた。高さ約7メートルの一番上に先輩。そのすぐ下まで登ったが、濁流は足元まで迫っていた。
周囲の電柱はすべて倒れた。しがみついた電柱は、もう1本が斜めに支える2本組みだったことが幸いしたようだ。家屋や大型トラックが流れてくるたびに「ぶつからないでくれ」と祈った。
暗闇の夜。ズーンという爆発音と衝撃が伝わってきた。石油コンビナートの方角に火炎が上がり、足元がうっすら照らされる。引き波で海に運ばれていく人の姿が目に入り、思わず目を背けた。現実とは信じられなかった。
寒くて眠気に襲われたが、静寂の中に「寝んなよー」という声が響いた。手の感覚は失われていたが、「誰かが見てくれている」と気持ちを奮い立たせた。夜明け前、ようやくひざ上まで水が引き、先輩と2人で何とか生き延びた。
震災から2週間後の25日。3月分の給与が振り込まれたが、経理担当者は「来月からは失業保険で」と言った。体調を崩し、21年間勤めた自動車整備会社を辞めたのは昨年3月。アルバイトをしながら10月にようやく見つけた仕事だった。「解雇ってことかな」と話す。13年前に倒れた父親(63)を母親(63)と姉(39)とで支えている。「仕事探さなきゃ」と自らに言い聞かせた。
あの日、夜明け前の薄明かりを頼りに100メートルほど離れた立体駐車場にたどり着き、車の中で暖をとらせてもらった。十数キロ先の自宅まで泥だらけで歩く途中でたばこをくれた人もいる。温かさが身にしみた。
「生きてりゃまた、いいことあるよね」
作業着の胸ポケットに入れていたオイルライターを乾かしている。ともに生き延びたライターで一服つけたい。大震災の悪夢も失業の苦難もきっと乗り越えてみせる。【高橋宗男】
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東日本大震災の津波で岩手県宮古市崎山の海辺にある通称「女遊戸(おなつぺ)」地区は、6割の住宅が流されるなどの被害を受けた。しかし当時集落にいた高齢者を中心に約70人の住民全員が助かった。町内会長でもある元学校用務員、前川正幸さん(66)が軽トラックを走らせ、声をかけて回った成果だった。
前川さんは地震発生時、海岸から約400メートルの自宅に妻といた。激しい揺れに必死で耐えた。前夜に地域の津波対策会議を開いていたこともあり、「津波が来る」と直感した。外へ飛び出し、約200メートル海岸寄りの所に車椅子で暮らす7歳下の弟の家に軽トラックを走らせた。弟の車椅子を押して自宅に避難させた。その際、近所にも「津波が来るぞ。逃げろ」と声をかけて回った。
前川さんは自宅からさらに引き返した。異変に気付いて海から約250メートルの市営アパートから避難しようとしていた高齢女性を、軽トラックに乗せて高台に運んだ。さらにこの女性の妹がつえを突いて避難してきたため、この女性も軽トラックに乗せて同様に運んだ。この時、津波の第1波が背後に迫るのが分かったという。
住民が裏山に避難し終えた午後3時20分ごろ、最も大きな第2波が集落を襲った。前川さん宅は無事だったが、34戸のうち20戸が流されたり全半壊した。
住民の男性は「町内会長が声かけしたお陰でみんなが助かった」と感謝した。前川さんは「住民全員が無事でほっとした」と、がれきで埋まった集落を見回した。【鬼山親芳】
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