Jun 16, 2010
アンチエイジングとシワについて
アンチエイジングは、加齢によって老化に少しでも抵抗して美しさをいつまで続ける必要があります。特に、シミやしわは、年齢に応じて増やすこともあります。アンチエイジングは、シワやシミの原因を理解し、改善することもあります。しわにはいろいろな種類があります。シワ対策も重要なアンチエイジングです。美容に関する治療をしている医療施設では、レーザーを利用した方法が多く行われていましたが、最近では、フォトフェイシャルと呼ばれるフラッシュランプと光を利用した治療法は、することも多いラーが報告されます。フォトフェイシャルは、光を当てるとシミやくすみ、ニキビ跡などの肌トラブルの改善につながる可能性があります。
伊賀地域の市民らでつくる「伊賀の國地名研究会」会員約20人が15日、伊賀市予野の花垣地区で、松尾芭蕉らゆかりの史跡を散策した。
同地区には最近まで県天然記念物「花垣の八重桜」があった。朝廷が「花守(はなもり)」を派遣したという由緒ある桜で、近くの花垣神社には芭蕉の句碑が残る。参加者は、地元住民の堀治泰さん(73)の説明を熱心に聴き入っていた=写真。また、上野城代家老の藤堂采女(うねめ)家ゆかりの正願寺跡なども巡った。
同会は4年目。年に数回、地域の史跡などを探訪しており、辻喜嗣会長は「研究を深めていきたい」と参加を呼び掛けている。事務局(080・3658・3081)。【矢澤秀範】
〔伊賀版〕
5月16日朝刊
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第二次世界大戦後、旧ソ連(現ロシア)のシベリアに抑留され、亡くなった人たちを慰霊する「シベリア抑留関係慰霊祭」が15日、津市久居野村町の墓地公園で営まれ、抑留経験者や遺族ら約50人が参列した。慰霊祭が行われるのは今年で10回目で、抑留された人や遺族らで構成する県慰霊祭実行委員会(林英夫実行委員長)が主催している。
ソ連の西北部・タンボフで48年6月まで強制労働に従事させられた林実行委員長は「昨年6月、国会でシベリア抑留特措法が成立し、抑留の実態調査を進められることになった。期限なく調査が実施されると確信している」とあいさつし、「戦後の復興と繁栄の中に生きる身として、不法で不当な抑留があったことを脳裏に刻み、これからも毎年慰霊祭を開催したい」と誓った。続いて、参列者たちが献花した。
慰霊碑は06年11月、同公園に建立された。実行委によると、県内には分かっているだけで約640人のシベリア抑留の犠牲者がいるという。【大野友嘉子】
〔三重版〕
5月16日朝刊
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◇時代を超えた天性
衝撃というより、打ちのめされていた。
64年、松阪市桜町の自宅で「愚の旗」を読んでいた本居宣長記念館元館長の高岡庸治(つねはる)さん(84)は、息をのんだ。後に“絶唱”と呼ばれる竹内浩三の詩「骨のうたう」に初めて触れたのだ。「まるで戦後の日本を見通していたようじゃないか」
□ □ □
<戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ(略)白い箱にて 故国をながめる 音もなく なんにもなく 帰っては きましたけれど 故国の人のよそよそしさや 自分の事務や女のみだしなみが大切で(略)がらがらどんどんと事務と常識が流れ 故国は発展にいそがしかった 女は 化粧にいそがしかった ああ 戦死やあわれ(略)国のため 大君のため 死んでしまうや その心や>
白木の箱に入った骨として故国に戻ってみたら、人々はよそよしく、戦争を忘れたかのように経済発展にあくせくしていた−−。詩人の予言か、慧眼(けいがん)か。ただ、圧倒されていた。
□ □ □
松阪市は当時の梅川文男市長の発案で市制施行30周年記念事業として、戦没市民の手紙集の発行を企画した。同市の社会教育課長を務めていた高岡さんは、手紙の収集と本の編集を担当した。
竹内の姉、松島こうさん(93)は松阪市の計画を知り、竹内の友人が遺稿を集め、私家出版した「愚の旗」を高岡さんの元に持って行った。「本を開いて驚きました。『骨のうたう』を読んで、あの時代にこんなことを書いた人がおったのか、と」
高岡さんは、東京都の立川陸軍航空技術学校を経て、三鷹内閣中央研究所で航空エンジンの製造に携わった。「日本のために性能の良い飛行機を作りたいという一心で研究していた」と振り返る。
熱心な軍国少年ではなかったという。だが、「当時の若者にとって国のために死ぬのは当たり前のことだと思っていた。本心は違ったかもしれんが、みんな戦争を謳歌(おうか)しようとして、時代の流れに流されようとしていた」と語る。それが時代の空気だった。「戦死やあわれ」と立ち止まることはできなかった。
□ □ □
「浩三は、誰もが無意識のうちに抱いていた気持ちを歌った。いわば時代の表現者だ。彼が『天性の詩人』と呼ばれるのはそれゆえんなのだろう」と高岡さんは語る。
手紙集の題名は詩の一部をとって「ふるさとの風や」とし、巻頭には「骨のうたう」を掲載した。竹内は伊勢市の出身だったが、巻頭に置くのはこの詩しかない、と思った。実は、竹内の詩が後に広く知られる契機となったのは同書だった。
高岡さんは「浩三の詩を読むと、戦争とは何かを考えさせられる」と語る。戦後65年、竹内が憂いたままの戦後日本。詩人が絞り出した慟哭(どうこく)は、今なお問い続けている。
高岡さんは言う。
「戦争を考えることは、平和を考えること。浩三の詩に反応しない社会は、怖い社会です」【大野友嘉子】=つづく
〔三重版〕
5月16日朝刊
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