Aug 02, 2010

主婦のための部分としてのコールセンター

主婦、パート、で求人検索をすると、私の地域では、コールセンターの求人がたくさん出てきます。最近の新しい施設のフロアのすべてのコールセンターなったことグプモガなったようです。私の住む北海道は、イントネーションなど、比較的標準語に近いか、交代織り方も様々に対応できるので、主婦のためのパーツとして人気があるようです。
電話代行は、専門のオペレータが要求を受けた会社に代わって、外部からの電話を受けるサービスで、従業員の代わりに、お問い合わせ等の電話に返事をしてくれます。電話代行は、委託会社の概要や取り扱っている商品サービスについての知識を持っていなければ出来ない仕事のために、秘書代行ということも従業員の人件費の削減にも効果があります。
 東日本大震災で家や仕事、古里を失い、避難先や新たな生活の場所として北海道で暮らす人は1000人を超える。震災以降、紙面で取り上げた被災者にもう一度会いに行き、3カ月たった「いま」の思いを聞いた。
 ◇平穏戻り、募る望郷−−岩手・大槌から北斗へ、柴田トモ子さん
 「もう帰りたくない」と訴えていた入居の日から2カ月半。津波や大火を目の当たりにしたショックが薄れるにつれ、郷里へのいとしさが日増しに募る。
 市立函館病院の内科病棟。壊滅的な被害を受けた岩手県大槌(おおつち)町から避難し、北斗市の特別養護老人ホーム「つれづれの郷(さと)」に身を寄せる柴田トモ子さん(72)は、大腸ポリープの内視鏡手術のため今月初めから入院中だった。「何もないのは分かっているけど、やっぱり大槌に帰りたい」。寂しそうな表情。目には涙が浮かぶ。
 秋田県横手市出身のトモ子さんは、18歳で美容師の免許を取得。結婚を機に移り住んだ大槌で、22歳の時に念願の自分の店「シャルム美容院」を開いた。還暦を過ぎて店をたたんだが、自分で車を運転し、三味線やフラダンス、生け花などの趣味に忙しく飛び回った。「晴れた日は室内でじっとしていられない人だった」と同居していた次男の幸喜(こうき)さん(43)は振り返る。
 昼は外出、夜は地元名産のカツオの刺し身でご飯を食べるのが、何よりの楽しみ。4年前に脳出血で左半身が不自由になり、昨年には胃がんを患った夫に先立たれたが、多くの友人に囲まれて幸せに暮らしていた。3月11日の震災は、そんな日常を根こそぎ奪った。
 幸喜さんに車椅子を押されて避難した高台。夕闇の中、目前まで迫った火の恐ろしさは、今も忘れることができない。「もう海は見たくない」。函館に住む長女を頼って避難してきた「つれづれの郷」で口にした言葉を、幸喜さんは北海道を安住の地とする意思表示だと受け取った。そんなトモ子さんを、介護スタッフや入所者は温かく迎えてくれた。
 だが、平穏な時間の経過は、古里への思いも呼び起こした。入所者は認知症の患者も多く、会話の相手はほとんどがスタッフ。函館の市営住宅に入った幸喜さんも車で1時間かけて1日おきに来てくれるが、心の穴がどうしても埋められない。「地震がなければ」と毎日考えてしまう。
 新たな悩みもある。これまで幸喜さんと一緒に母の面倒を見てきた長女が、夫の転勤で引っ越す可能性が出てきたのだ。職探しを始めようとしていた幸喜さんだったが、仕事に就いた時に姉がいなければ、母を1人にさせてしまう。「親子で腰を落ち着けて生活できる日は、来るのだろうか」。震災から間もなく3カ月がたつ今も、手応えはつかめない。【佐藤心哉】
 ◇一家でまた古里に−−福島・南相馬から岩見沢へ、佐藤康宏さん
 息子と男2人だけの自炊生活。初めての体験だが、朝夕の食事の献立を栄養バランスを考えて作るのは「楽しいですよ」と笑う。
 福島県南相馬市にあるステンレス加工メーカー「タニコー」の工場に勤めていた佐藤康宏さん(52)。福島第1原発事故で30キロ圏内にある工場が操業停止に追い込まれ、3月下旬、北海道工場のある岩見沢市に同僚と一緒に疎開してきた。
 「落ち着ける場所へ行こう」と一家5人全員で移ったが、長女真有美さん(25)と次女友理絵さん(24)が古里での仕事に戻るため、先月下旬に妻すみ子さん(50)と帰省。佐藤さんは同じ職場で働く長男智洋さん(21)と岩見沢に残った。
 避難してきた時は着の身着のまま。家財道具はすべて置いてきたが、4年前まで住んでいた岩見沢の友人や知人に、テレビや冷蔵庫をプレゼントされ、新生活が始まった。
 気がかりだった自宅に戻れたのは、引っ越しから1カ月たった大型連休。一家5人で新築間もないわが家に着くと、荒らされもせず、そのまま残っていた。「津波に襲われた当時のままだった。被害も少なく、心配が消えました」。全員で泥で埋まっていた庭や床下を掃除した。
 南相馬の工場も5月末までに再開し、佐藤さんは「息子と2人、秋までには南相馬に帰れるだろう」と期待する。原発事故の収束はまだ見通しが立たないが「戻ったら、一家で復興のために頑張る」と決意している。【吉田競】

6月10日朝刊

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